講師プロフィール
♡あさみ先生♡
東邦音楽短期大学ピアノ科卒業。
第13回ペトロフピアノコンクール、第12回“万里の長城杯”国際音楽コンクール奨励賞受賞。第27回コンセール・ヴィヴァン新人オーディション合格。
東京国際芸術協会より受講費全額免除を受け、ドイツ国立シュトゥットガルト音楽大学へ短期留学。
及川音楽事務所所属。全日本ピアノ指導者協会会員。
〜私とピアノ〜
▪︎保育園〜小学生時代
私とピアノの出会いは3歳の頃。
2歳の頃にカワイ音楽教室のリトミックを習っていて、3歳になったタイミングでそのままカワイの先生にピアノを習うことになりました。
その先生には小6まで習っていましたが、コンクールを受けたりすることはなく、趣味としてのんびり習っていました。
そのときの私は将来、音大に進学したいとか音楽家になりたいとは全く思っていませんでした。
▪︎中学生時代
中学生になると部活動が始まるので、小学生まで習っていた様々な習い事を辞めることに。ピアノも中学生になるタイミングで辞めてしまいました。
習い事としてピアノを習うことは辞めましたが、学校で毎年行われる合唱コンクールのクラス代表の伴奏者としてピアノを弾いていました。
中学時代に夢中になっていたのは、ピアノより部活の演劇部。
3年生の時は部長も務めて区大会で優勝し、都大会にも出場しました。
ピアノと演劇の共通点は舞台で表現すること。
きっと私は昔から表現することが好きだったんだと思います。
私の通っていた中学校は毎年3月にピアニストの梯剛之さんが学校に来てくれて、卒業間近の3年生に向けて体育館でコンサートを開いてくださいます。
私が3年生の時に聴いたプログラムはベートーヴェンの月光ソナタやショパンの英雄ポロネーズなどで、今までピアニストの生演奏を聴いたことがなかった私は梯剛之さんの生演奏を聴いて衝撃を受けました。「ピアノってこんなに情熱的な表現ができるんだ!凄い!私もこんな風に演奏してみたい!」と胸が熱くなりました。
そして、その日学校から帰宅後すぐ母にもう一度ピアノを習わせてほしいとお願いしました。
「高校に入学して夏休みぐらいの高校生活に慣れてきた時期に習っていいよ」と言われ、そのときの私はまだ高校に入学していないのに夏休みがとても待ち遠しかったことを覚えています笑
▪︎高校生時代
地元の商業科の高校に進学し、約束通り高1の夏休みにピアノを習わせてもらうことになりました。
友人に紹介してもらった先生は国立(くにたち)音大を卒業されているベテランの先生で、褒めて伸ばすレッスンでどんどん上達するのが楽しくて私はすっかりピアノに夢中になりました。
もっともっとピアノが上手くなりたい。ただそれだけを考えるようになり、高校を卒業したら音大に行きたいと思うようになりました。
両親に相談すると賛成してくれたのでピアノの先生にも音大に行きたい旨を伝えると、まさかの大反対。「あなたは同じ歳の他の音大志望者達の10倍遅れてる。音大に行く人はみんな小さい頃から遊ばないで毎日何時間も練習している。あなたが今から音大を目指すなんて無謀すぎる!」と。
先生にそうハッキリ言われても諦めきれない私は、毎回レッスンの度に先生に音大受験したいと言い続け、ついに音大受験の許可が下りました。
そうは言っても、趣味としてのんびりピアノを習ってきた私は他の音大受験生より遥かに遅れているので、練習時間が足りません。朝から夕方まで学校にいるのが時間の無駄に感じていました。その時間をピアノの練習に充てたかったのです。
なので、両親と担任の先生に相談して、通っていた全日制の高校を辞めて通信制の高校に通うことにしました。
担任の先生には「本当にそれでいいのか?やり切れるのか?」と何度も聞かれたし、両親も最初は大反対していたので一生懸命、説得しました(^_^;)
そうして高2の時に通信制の高校に移り、毎日朝から晩まで練習漬けの日々を過ごすようになりました。
私は高2以降は普通の高校生としての思い出は何もありません。通信制の高校なので、修学旅行も卒業アルバムもありません。友達とは誰にも会わず、連絡も取らず、ただひたすら家に引きこもってピアノの練習に明け暮れていました。
無事に志望校の音大(短大)に合格し、通信制の高校も単位を多めに取ったおかげで他の高校生と同じように18歳で卒業できました。
決して楽しいと言える高校生活ではなかったけれど、あのとき頑張って本当に良かったと今でも思います。
▪︎音大(短大)時代
晴れて音大生となった私。毎日音楽に囲まれて、友人と音楽を語り合い、とても充実した日々を送っていました。
音楽を学び続けたい私は、卒業後は4年制音大に編入する予定でいました。しかし、短大2年の時に父親が失業し、就職することに。
▪︎本職巫女(正職員)時代
短大卒業後は正職員の巫女として都内の某神社に就職しました。
クラシック音楽は西洋の文化だから、ピアノばかり弾いてる私は日本人なのに日本のことを何も分かっていないかもしれない。そう思い、日本人のルーツである神道の世界の神社を就職先として選びました。
お正月の時期のアルバイトの巫女は募集が多いけれど、事務作業や結婚式、厄祓いなど普段から神社で奉職している正職員の巫女は神主の親族がやっていたりするので、あまり公に募集していません。
なので、私は神社に直接出向いて経理の人に「本職巫女として働かせてください」とお願いしました。
ダメ元でお願いしたのですが、履歴書を持ってくるように言われ、後日、宮司さんと面接してトントン拍子で神社で働くことになりました。
ピアノは働きながら続け、帰宅後に練習して、芸大の先生のプライベートレッスンに通いながら勉強を続けていました。
▪︎病気〜出張ピアノレッスン時代
父親の再就職が決まったので、元々ピアノを頑張りたかった私は神社を退職してピアノの出張レッスンを始め、芸大の先生のプライベートレッスンに通いながらコンクールを受けまくるようになりました。
そして、無理がたたって病気に。人前でピアノを弾くことができなくなった私は、生徒さんのレッスンに注力することになりました。
コンクール会場にて生徒さんと。
▪︎結婚〜そして現在
30歳の時に結婚し、現在の市川市に引っ越してきて自宅レッスンを開始しました。
32歳の時に病気も良くなり、また人前でピアノが弾きたいと思うようになったので音楽事務所のオーディションを受けて合格、演奏活動もスタートしました。
決して順調なピアノ人生ではなかったけれど、「ピアノが好き!」ただそれだけでここまで突っ走ってきました。
そして、「ピアノが好き!」という気持ちが強かったからこそ、ここまで続けてこられたのだと思います。
生徒さんにも、私のレッスンを通してピアノを好きになってもらえたら、先生冥利に尽きます♡